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【企画?】追憶のG戦士 その1

さて突然ですが、当ブログ初の企画モノなどをちょっくら考えてみました。
といっても企画と言うほど本格的じゃないですし、続くかどうかも怪しいもんですが(ぇ




〜不遇のスラッガー 大森剛


90年代に巨人に在籍した、大森剛というスラッガーのことを皆さんはご存じでしょうか。
ポジションは1塁・もしくは外野。右投げ左打ち。通算出場試合数132・打席数195・安打数29。
そのころからの巨人ファンの方は、大森の名前を聞くとすぐにこう言うでしょう。
「ああ、あのオリックスとの日本シリーズで…」、と。


そう、彼の野球人生の中でおそらく最も輝いていた瞬間が、オリックスと巨人の日本シリーズ(1996)だったのです。
第1戦には9回裏に代打で出場、起死回生の2ランを放ち、第4戦でもHRを打つ活躍を見せ、このシリーズのラッキーボーイとして大きくクローズアップされました。



日本シリーズでの活躍から、翌年以降も活躍が期待されましたが、結果が付いて来ず、2軍暮らし。
結局長い2軍暮らしの末、1998年に近鉄へトレード、1999年シーズン終了後に現役を引退。
以後は巨人軍のスカウト。


この大森という選手、実は偉大な記録を持っています。
2軍の本塁打記録は2010年現在、日ハムの中田翔が持つ《年間30本》ですが、そのとき破られた本塁打記録が、この大森選手の《年間27本》でした。
しかも大森選手は92年・93年と連続でイースタン本塁打王に輝き(92年は打点王も)、96年にも本塁打・打点の2冠王に輝いています。
最終的に2軍では、通算本塁打が120本。これは恐らくダントツの1位じゃないんでしょうか。
これだけ打ってたら、普通1軍に呼ばれて、もう2軍には帰ってこないはずですもんね。


ところが、当時の巨人軍の一塁手のラインナップを見てみると…
古くは駒田徳広。移籍組として広澤(前ヤクルト)・落合(前中日)・石井浩(前近鉄)らが次々と加入、挙げ句の果てには清原が西武から入団して来てしまい、大森選手は結果的に2軍で不動の4番となってしまった、というわけです。


もともと巨人入団時には、ドラフト1位で、かの中畑清が背負っていた24番を受け継いでいた大森選手。
慶応大学時代に3冠王を達成したということもあり、周囲からの期待も大きかったことでしょう。
ちなみにこの年の他球団のドラ1指名選手は、野茂(8球団競合)、潮崎、与田、佐々岡、佐々木、小宮山などそうそうたるメンバー。
いかにレベルが高い世代だったかがわかります。
もし大森選手が順調に階段を駆け上がって行っていたら…、と考えるのは野暮ですが、今頃どんな評価を受けているのだろうか、と想像したくなります。


それ相応の素質や才能を持っていながら、たまたま何らかの事情やケガにより、開花し、光り輝き続けることが出来なかった選手たち。
「運も実力の内」とは言いますけれども、やはりプロ野球は厳しい世界です。
普段僕たちがのほほんと見ているプロ野球も、水面下では様々なドラマが繰り広げられているのでしょうね。



そうそう、もう一つ。
現在、ジャイアンツの切り込み隊長を務めている坂本勇人ですが、坂本を指名するに到ったのは、大森スカウトの熱心なプッシュがあったためだそうです。
スカウトとして、現在も精力的に活動されていると聞きます。
頑張って欲しいですね!